こんにちは。ちのねやすこです。
Webコンサルと起業家支援をしていますが、今日は息子の話を。
我が家には、人一倍敏感な気質を持つ子供たち(HSC:Highly Sensitive Child)がおります。
兄は刺激追求型HSS要素強めのHSC:中2、
弟は、洞察要素強めHSC:小5。
下の子は、なかなか学校に足が向かず
時々気が向いたら放課後に投稿する、絶賛自由登校中です。
その次男の事で、ちょっと驚いたのでシェアします。
よく、なかなか学校に足が向かなくなる子に対して、「信じて待つ」という言葉が使われます。
この意味が少しわかったというか、信用を回復するには時間がかかるという話です。
先日、家にいる次男に、
「母はこれから、いろいろお仕事頑張ろうと思う!」と告げたのです。
不登校がはじまって、今までの1年半、私はちょくちょく仕事で家を空けていましたが、コロナを機に、すべての仕事をいったん停止し、ほぼ家におりました。
まぁ、起業家さん相手のコンサルティングと小規模事業者向けのITコンサルが主なので、デリケートな話も多く、ほぼほぼ対面仕事なのです。
そのため、この時期はZoomというわけにもいかず、ひたすらこもりました。

私自身の在り方に向きあい、仕事の仕方も考え直していました。
自粛期間が明けた後も、
次男が「学校に行く」と言ったらすぐに学校に連れて行けるように、
できるだけ家にいました。
ところが最近、クラウドファンディングを機にFBライブやラジオの生放送に出る機会をいただいて、ここらでちょっと自分の人生を生きようと思い始めていたのです。
お母さんが輝くのが先なのかも!と思って。
子供のせいで仕事ができなかったなどと思ってしまわないように、子供の心配の前に、やっぱり出来ることをやっていきたい、と。

彼も出かける私に向け、
「ママ、有名になっちゃうね!頑張って!」
と笑顔で言ってくれてたので、「応援してくれている!」と
喜んでいたのです。

ところが、です。ラジオ出演を終えて翌日、
「これから、仕事頑張っていくね」と告げると、
息子の表情が曇り、
いきなり小学校1年生の時の話を持ち出してきました。
「あのさぁ」、
から始まり。
「どうして学童に入れたの?」
「ワーワーうるさくて、すごく嫌だったのに。すごく辛かったんだよ!」
「学校が終わったら早く帰りたかったのに、なぜ1人で留守番させてくれなかったの?」
「お兄ちゃんと一緒に毎日学校に行ったり帰ったりするのが嫌だった。僕は一人で行ったり帰ったりできるのに。」
と、突然、涙ながらにうったえてきました。
次男は小3の3学期に入ってから学校から足が遠ざかり、
もう5年生になっているというのに!
「へ?いつの話?」
「なぜ、今ごろ1年生の話?」
しかも延々と続きます。
驚きましたが、話を聴きました。
なぜ今その話をするのか問うと、
その当時(彼が小学校1年生のころ)、私がパートの仕事で手一杯で、帰宅したらすぐ夕飯の支度をしていて、話もできなかったと。

ガツンときました。
そして、
「ああ、この子は、やっと今、小学校一年生の時にどう思ったのか、どう感じたのかの話をしてくれている」、と思いました。
思い返せば、その時の気持ちを彼の側から発信するまで待つ、ということができていなかったのです。
いつも、私からの質問でしかなかった。
「なんで行けないの?」「何がつらいの?」「誰と何があったの?」
何てこと…。
彼が答えられないのを待てずに、どんどん質問攻めしていたのです。
そして、私がもう一度仕事を頑張る、という言葉で
「また話を聴いてもらえなくなる」
と思ったのかもしれません。
家に一緒にいるだけで、理解したりされたりしているつもりだったけど、
ちゃんと口に出す練習をできていなかったんだな、と反省しました。
彼の言葉で口に出るまで、いつも待てなかった。
心理学者のマズローが提唱する、5段階欲求。
この3番目の「所属と愛の欲求」⇒から4番目の「承認欲求」へ。
やっぱり、飛び級はないのですね。
コロナの時に、自分の在り方を深堀り(内観)した時にも、自分自身に欠乏していた感覚がありました。
承認欲求(自分を認めたい、他者からも価値を認められたい)の思いが強かったです。
学校になかなか行けなくなったとき、
彼が2歳ぐらいのエネルギー値を100とすると、
この子のエネルギー値は限りなく0に近かった。
鬱っぽくもあり、目に生気がなくなっていった。

その状態で、はじめは一生懸命
「今日は行けるかも」と信じて、
「少しでいいから行ってみない?」「保健室だけでも」などと、
無理やり車で連れて行ったりしていました。
いわゆる、登校刺激というやつです。
そして、これはやってはいけない、という典型例なのだと、
後になって気が付いたのですが、その時は必死でした。
するとある日いつものように学校の駐車場に到着したとき、息子から、
「ママは僕を無理やり連れてきてるよね。
で、今学校まで連れてきて良かった、とほっとしたでしょう?
僕はもういやだ。車から降りないよ。」
と言うのです。
混乱しました。
え?何?無理やり連れてきた覚えはないし、
どうしたらいいのかわからなくなり、
「自分の意思で来たんでしょう?家を出る時、嫌だとか言わなかったよね?」っと、
思わず声を荒げ、混乱して涙がこぼれてきました。
それを見た息子がまた言うのです。
「ママ、今、泣いてるけど、心の中では笑っているでしょう?
しめしめって思っているでしょう?」って。
もう、何を言ってるんだ!この子は!と、我が子ながら理解できなかったんです。
頭にきた私は、無言でそのまま車を出して、息子と共に帰宅しました。
でも今なら、息子の言っていた意味が分かる気がします。
「敷地内に連れてきたから、いつも通り、もう観念して行ってくれるよね!私の勝ち!」みたいな気持ちが確かにあったのです。
まるで保育園や幼稚園児を先生に預けて、
「さぁ、あとはよろしくお願いします!やれやれ、やっと預けられた!」というときの気持ちと同じ。
「わがままを言わず、はやくあきらめて慣れてね。学校とはそういうものだから。みんなそうしているんだから。」
という気持ちです。
もちろん、帰宅してからすぐ、話をしようとしましたが、部屋に引きこもってしまい会話もままならず。
1週間後くらいしてから、ようやく少しずつ会話も回復してきました。
しかし、登校も、学校の話をすることすら断固拒否。
しばらくして、スクールカウンセラーの先生のところに相談に行きました。
一連の流れを伝えて、その答えは、
「病院に行って、発達検査を受けてみられてはいかがですか?」
担任の先生からは、「学校に来るか、病院に行くかどちらかにしてください。」
発達診断を受けるために病院に予約を入れ、実際に受診できたのは、それから8か月後でした。
発達検査でのやり取りはまた次回、書きますね。
それから1年半。
最初の半年は、平日の学校がある時間帯はかたくなに家から出ませんでした。
そして、
時々放課後に行くだけの日がはじまりました。
子供の気持ちは、大人が考えるほど単純じゃなく
Yes/NOで即答できるものではない、のだと改めて思いました。
そして、変わるべきはまずは大人の側なのだと。そして、その気づきもすぐには得られない。大切なものは時間がかかる、まさにその通りだとおもいます。
HSCの子育てに関するわかりやすい本です。
後半に、学校の先生に印刷して渡すことができるように版権フリーの個所があります。