10月から学校が再開して。
息子を学校に行かせてあげられない自分に、久々に朝から落ち込んだけれども。不登校の不安をなかったことにしないように備忘録。
なかったことにしてきた感情に向き合うこと。
子供のころ。
あんなこと。見なかった、感じなかった、そもそもなかったことにして。
お父さんにお母さんに兄弟に友達に先生に親戚に
あんなこと言われたり、されたりしても、
波風立てたり、争うのが嫌で。
大人の機嫌を損ねることは、罪だと思っていた。
いつも平気なフリをして、感じないようにして
自分を騙して。
地中深く、隠した感情。
何事もなくやり過ごすことが、大人になるってことだと信じてた。
自分が傷ついていたのに、それをなかったことにしてきた。
遠い昔の話だと思ってた。
まさか今ごろ、埋めたはずの“それ”を。
我が子が見つけて持ってくるなんて。
◆
子供が不登校になった時、私は動揺した。
はじめは、いじめかも?と思った。
こんなに嫌がるんなら、どこかに原因があり、
その原因さえ見つけて対処すれば解決できる。
また、いつも通り元気に登校できるはずだと、信じて疑わなかった。
あれからもうすぐ3年になる。
あらゆる原因探しと相談と交渉と対応の毎日。
正直、疲れた。今日は、久しぶりに疲れを感じたんだと思う。
周囲からは、かわいそうに、大変ねという同情と、
でも親が何とかしないとね、親の責任よね、
という『常識』という名の集合意識をずっと感じていた。
たくさんの人からの意見や質問に、子供のことを
相手に判るように説明しなくてはならない。
なぜなら、保護者だから。
親なんだから子供のことを全て理解し、
適切に処理することがあたりまえ。
そんな思いでいたけど。
今、正直に思う。そんなの無理。
子供のことを完全に理解できないでいるのに、
理路整然となんて話せないし、
良かれと思って代わりに交渉しても、こじれてばかり。
ずっと『学校に来るか、病院へ行って診断、治療するか、どちらかにしてください』という先生の言葉に、えぐられる思いだった。
私は何をやってるんだろう?
どうしようもない無力感を感じて。苦しい、助けて欲しいと思っていたんだ。
私は子供たちを愛している。
自分の命より大事なものがあることを、初めて教わったのに。
その子供が学校に行きたいのに行けなくて苦しんでいる姿を、1日でも早く何とかしてあげたいのに。
” ママが笑顔でいれば、子供はハッピー” そんなことはわかっている。
だからこそ、その言葉に苦しんだ。
いつも元気でいなければ!と思うけど、できない日だってあるんだよ。
無理やり笑うから、目が笑っていない。
こんなに苦しいのに、どうやって笑顔になる?
仕事をしたいのに、子供の機嫌に振り回される。行くの?行かないの?
予定はめちゃくちゃ。イライラする。
さっき食卓を片付けたのに、次の食事のことを聞かれる。
(それしか共通の話題がないからなんだけど。)
彼らが私のご機嫌をとってくると、余計腹が立つ。
(私を笑顔にしたいんだということはわかってるのだけどね。)
あー、ちょっとでいいから1人になりたい。ゆるみたい。
素の自分に戻って、自分の心に集中したい。
そう思って、ふらりと散歩に出た。
心配そうな夫(在宅勤務中)を尻目に。
歩きながら出会った木々は
そんな私のぐちゃぐちゃな気持ちなどお構いなしに
ただそこにあり、紅葉をはじめていた。
落ち葉が秋の気配を出し、
すっかり次の季節の準備をしている。
なんと、美しい。命の煌めき。
なんということもない、近所の公園の景色だけど。
ただ淡々と、命をつなぐ。ただせっせと生きている。
絶え間なく続く瞬間を重ねる。
『だって、それが生きるということだもの』
と、教えてくれる。
幸せは、遠くにあるものではなくてすでにもう持っている。
幸せは探すものでなくて、感じるもの。
そうよね。
一番身近な人と、他愛もないことで
笑い合えることかなー?
大好きな人たちがいてくれることが
なによりも幸せなのに。
隠していた傷に触れてくる子供に
「ちょっと、やめて!」と、混乱していた。
ちゃんとしないと、ちゃんとした大人になれない。
不幸になる。嫌われる。価値がない。
私をイライラさせるのも
不登校の子供が持っている不安の正体も。
きっと『罪悪感』『劣等感』。
ちゃんとできていない自分に
愛する人の期待に答えられない自分に
ゲンナリしている。
何度も何度も手放したつもりなのに、
学校が再開してまた感じるこの感覚。
世の中みんなが在宅の時は、
すっかり忘れてしまっていた。
すっかり元気になったつもりでいた。
つい昨日まで元気だった我が子が
また「登校できない自分」を意識して落ち込む姿を見て、
私も凹んでしまうんだ。
どうしてあげたらいいんだろう?何もできない。
こうなると頑張っていた自宅学習も、
また振り出しに、いや、マイナスに戻る気分。
家にいて全く勉強しない時期に、それでもきっと成長できたことは
あったんだと信じたいけれど。
落ち込むと外にも出られなくなる。気力がなくなる。
よくなったり悪くなったりを繰り返す中で、
この子に最適な環境とは?私は何ができるのか?
またぐるぐるとはじまってしまうのです。
そんな中、自然からもらった答えは、
「ただ、今日を生きる」こと。
そうだね。
罪悪感や劣等感も、
別にあっても良いんだよね。落ち込むのもしょうがないよね。
人間だもの。
私は今、辛いって感じただけ。
家族が元気よく希望に燃えて
毎日を楽しく生きてくれるのが理想。
現実を嘆くより、そうやって、願いに、希望に昇華していこう。
◆
さて、あらためて、私にできることは。無理せず、良い気分でいること。
今日は落ち込んだ自分を味わうだけ。
今回は、
見なかったことにはしてないから
きっと大丈夫だと思う。
今、これを書きながら、
自分に答えている。
「私は今を、精一杯生きています。」
そんなんじゃダメという人はいるかもしれないけれど、
出来ることをやっている。
その瞬間瞬間を
循環させて生きていきます。と。
これからも、ずっと。
やっぱり未来を、自分を信じてる。