私がHSP(Highly Sensitive Parson)やHSC(Highly Sensitive Child)という言葉や概念に出会ったのは、次男が学校に行きづらくなってから。2019年ごろです。
言葉としては、もう少し前から知っていましたが、自分とは全く縁のない話だと思っていました。繊細だと大変そう、ぐらいにしか思っていなかった。
今日は、HSP/HSCという気質を知ってから、
「不登校HSCの次男との関係がどう変化したのか?」という話をしたいと思います。
不登校の原因さがし
はじめは、息子に何が起っているかが理解できなくて、必死に原因探しをしていました。 お腹が痛い、足が痛いと訴える症状に応じて病院に行ったり、スクールカウンセラー、担任の先生との面談、小児精神科、市の不登校支援窓口。カウンセリング、不登校専門家庭教師まで。HSC概念との出会い
結局、どこに行っても原因も答えもヒントも見つからず焦るばかりだったところに、本屋で偶然見つけた明橋大二先生の「HSC子育てハッピーアドバイス」。 そこでHSCと言う言葉を知り、いわゆる定型発達、発達障がい、以外の”HSC:ひといちばい繊細な子”という概念があること。人の視線や大声に恐怖を感じて凍り付いたり、人の痛みもまるで自分のことのように刺激を受け、苦しくなってしまう気質であること。まるで息子だ。そして私もだ。という気づき。 ネットを検索して皆川公美子さんの感性キッズのサイトにたどり着きました。 その後は、学びを深め、HSPメッセンジャーとなり、映画上映会や講演会、お話会、講座を開催し、個別相談を受けるようになりました。HSCを知ってからの経緯
息子は、と言うと。今年度になって何度か朝から登校を試みましたが、やっぱり辛いと家で過ごしています。毎日がトライアル。一進一退。
この2年半は、家を拠点に、ひたすら待ち。私からの決めつけや先回りして関わることを止めました。それでも時々、「今日は学校どうする?」という登校あおりや「今日何か勉強してみない?」というような催促をうっかりしてしまって、それまで時間をかけてやっと持ち直してきた彼の安心感を、まるでブロックを崩すように壊してきた実感があります。 ええ、たった一言で不機嫌になる。一瞬で台無しになるんです。( ;∀;)現在の様子
それでも本人自身の成長もあり、少しずつ現実に向き合う事ができるようになってきました。 「やっぱり、一人では生きていけないよ。」 「このままじゃ、中学生になれないから学校に行けるようになりたい。」
HSCに適した環境
HSCの子でも、適した環境であればとても穏やかで平和でいられる。と聞きますが、 ふと、そう実感します。 少人数の穏やかな空間で、せかされたり、ジャッジされたりしなければ 安心感のある場であれば、むしろ集中力を発揮していろいろ学べるのになぁ、と思いますが、現実社会ではなかなか厳しそうです。わが子を理解できない苦しみ
初めの頃は、学校についていけないと、勉強は遅れるし、こんなに弱いと生きていけない、などとつい、息子の将来を悲観したり、自分の子供の頃と比べていました。 何より「息子を不登校にするなんて母親失格だ」と、自分を責め続けて辛かったです。 なぜ今まで行けたのに、急に行けなくなるの?理解できない。
HSCという概念
HSCという概念に出会って安心はしたけれど、それでどうしたらいいか?という問題はやっぱり個々に違うものなんだと思います。 我が家の場合は、なるほど、こういう側面があることを知れてよかった。という程度、というのが率直な答えです。発達に凸凹もあるだろうし、不安症で自己肯定感も低めだと思います。 きっちりかっちり、「○○だから△△という対応を」というわけにはいかない。不登校HSCの居場所と大事なこと
お腹や足が痛いのも、嘘ではなく、そういう身体症状が出るほどのストレスがあったということ。 今では彼の当時の症状は、不安症。 HSCとして刺激を受けやすい気質の上に、自信を無くして2次症状を起こしていたんだろうなぁ、と思います。 そんな状態では、無理やり (外部の刺激や学校に)慣らすことも、戻すことも、治すことも無理です。 それなのに、必死にどこかの誰かに助けてほしかった。 不登校や不安症の子を預かってくれる場所を探したけれど見つからなかった。 当たり前ですよね。あせるあまり、近所にないから東京のフリースクールに通おうかとか、環境の良い島にでも転校しようか、とまで。毎日、必死で調べたり考えたりしていました。しかし、そうやってジタバタするほど、息子を傷つけていることにも気が付きませんでした。
家に「不登校」「HSP」関連の書籍が増えることが、 HSCのチラシを見ることが、 すべて目の前の彼を変えようとするメッセージとなり、 「ありのままの彼」を否定するものであることに、 私はその時気づいていませんでした。
ありのままを受け入れる、とは?
学校に行けていない自分、周りの子が「普通に」できることができない自分。 そんな自分の存在に母は苦しんでいる。 自分なんていない方がいいんだ。
私は原因を探して早く解決しようとして詰め寄ってしまったし、子供は親に責められると感じ、逃げるように対話を避け、布団に入り身を守った。
一進一退を繰り返しながら、たくさんの対話と涙を経て、少しずつ打ち解け、理解を深め今に至ります。
不登校の子供に親ができること
結局、時期が来なければ回復しない。 まるで、北風と太陽です。 「学校へ行け」「勉強しろ」といくら風を吹かせても、無理。逆に頑として動きません。

なぜなら、「学校に行かなくてもいいから」。

罪悪感から解放される、貴重な一か月。 平日の昼間に外出しても白い目で見られない。
もうすぐ九月になります。 学校に行けなくても、息子が笑っていてくれればそれでいい。 彼の人生なのだから、彼自身が切り開くはずと信じて。。。