私の心の闇
周りの方から、よくかけられる「なぜもっと活躍しないの?」という言葉。
私なりにその原因を探りたい。
中途半端を終わらせて、今こそ向き会いたいと思い、この時期に徹底的にアウトプットに取り組んでいます。
今日は自分の中の闇の部分に向き合う覚悟で書きます。現実的でない話やダークな感情が苦手な方はスルーしてくださいね。
心の闇に光を当てる
いつも頑張っているつもりなのに、アクセルとブレーキを一緒に踏んでいるので疲れるばかりで、なかなか進みません。
ブレーキというのは、私を守るためにあるもの。無意識に、暴走を止めているもの。それは何か。
何が怖いのか?
暴走するとはどういうことか。
放っておくと、私はふらふらと知らないものを探検に行ってしまう。
好奇心のあるがままに、興味のある方向に。
そして、目の前の人や出来事に夢中になってしまう。
恐れているのは、そのままもと来た場所を忘れてしまうこと。戻る場所を忘れてしまうこと。
それは、私のわがままじゃないだろうか。
母となり、家庭があるのだから、好き勝手にはできない。
仕事をすると、夢中になりすぎて家庭が崩壊する気がする。
それがブレーキなのかな?
ふるさとがない。
子供のころの話を少し。
父が転勤族で、同じ土地に3年いたら別の土地に引っ越す。これを高校まで繰り返してきました。
おかげで、友達というのは、3年したら入れ替わるもの。
辛い思いをするなら、心から関わることを避けようと、一線を引くようになった気がします。
私は、静岡県の浜松市で生まれました。幼稚園も小学校も大好きで、友達と毎日夕方まで遊んでいるような、社交的で冒険好きな子供でした。
その当時トランプゲームの神経衰弱が得意で、一人でたくさんとってしまうので、
幼稚園では神経衰弱禁止になったほど。
お遊戯会では、本当は主役のかぐや姫になりたかったけど恥ずかしくて言い出せず、
タケノコ役に命をかけるような健気な?(笑)子供でした。
戦時中のような小学校
はじめて体験した引っ越しは、小学校2年生の時に九州の宮崎の田舎にある小学校へ。
転校初日のことです。
私は、自分の中ではお気に入りの黒のベルベットにパールの飾りがついたワンピースと、
レース多めの靴下とエナメルの靴で、髪にはリボンもつけて、かなりご機嫌に登校しました。
ちょうど、2時間目が終わったころの中休みに昇降口に入り、
持参した上履きに履き替えようとしている時でした。
ドドドっという音と共に、まるでどこかの戦時中を描いた漫画に出てくるような、
坊主頭+ランニング+短パンの男の子たちが、すごい勢いで外から集まってきました。
そして、私を指さして、
男の子たち:「見てみないっ!こいつ、靴下とかはいちょる!」
「ほんとや!なんか持っちょっし!ハハハー!」
と笑うのです。
わたし:「???」(何言ってるのかちょっとわかんない)
ただびっくりして、あっけにとられて固まっていると。
先生の説明によると、どうやらこの学校では、「健康のために」裸足が普通らしい。
「どういうこと?理解できない!」学校内も、校庭もすべて裸足!
よく見ると彼らは、休み時間の終わりと共に、外で足を洗ってサッと雑巾で拭きながら、
続々とあがってきている。そこで上履きに履き替えようとしている私に気づき、声をあげたのです。
何か持っている、という何かとは「上履き」のこと。
私が上履きを持っていることを笑われたのです。
「ありえない」(チーン)
トイレにだけはスリッパがありましたが、それ以外、は・だ・し なのです。
私は、どうしてもその風習になじめず、嫌で、ずっと靴下を履いていました。
第一印象は、「まるで戦時中」。しかも方言がわからない。
しかし、ここで負けず嫌いを発動。
「なめられてたまるか」と、必死で方言を覚えました。
家で方言を話すことは「次の学校に行ったとき困るから」禁止でした。
学校では方言、家では標準語、でも両親は宮崎育ち。という不思議な環境。
母には、毎日「浜松に帰りたい」と泣き、
覚えたての漢字で幼なじみに手紙を書いていました。
でも、心配させないように「元気」としか書きませんでしたが。
ここには友達もいない。かと言って、泣いていては馬鹿にされる。
「強くなろう」そう思いました。
世界が変わる
その転校以降、異次元の世界に迷い込んだように、何かが変わりました。
夕方になると、自分がチリのように消えていくイメージが見えるのです。
夕焼けがあの世の入り口のようで、毎日迎えに来られている気がしてやけに恐ろしく、
「人は死んだらどうなるの?肉体が動きをとめたら、私は消えてしまうの?もう、どこにも存在できなくなるの?」と言っては泣き。
眠ったら消えてしまいそうで怖くて眠れない日が続き、
母にいくら話しても
「何言ってるの?変な子ね。そんなこと気にしたことないからわからない」
と理解してもらえず。
「なんでわかってくれないの?」
ここにいるのに、居場所がない感覚。怖くて怖くてしょうがなかった。
ある日、夕方にうつらうつらしていたら、
「大丈夫、光に戻るだけ。ちゃんとあるから。怖がらなくていいから。」と、
声にならない声を聴き、無数の金色の光の粒に全身が包まれ、ゆるんでいく夢を見ました。
「ああ、仲間がいた。」それで、その日からなんとなく落ち着いたという不思議な体験がありました。
今もその時の風景が心に焼き付いていて、
台所で夕日を背にして夕飯をつくる母の姿と、
離れたところでそれを見ながらまどろむ自分の画が浮かびます。
実は、その一件のあとは毎日夢の中で飛ぶ練習に励むので寝た気がしなくなり、
やたら疲れるという怪現象は続く。(^^;;
母のこと
引っ越ししてから特に変わったのは、弟と妹に手がかかるようになったことでしょうか。
弟は、私とは真逆で、幼稚園も脱走するほど集団生活に向かず、妹は毎日3回以上着替えるほどのこだわりを持っていたから、とにかく手がかかった。
「お姉ちゃんなんだから、世話をかけないで」という言葉は、2人が生まれたころからよく言われていました。
5歳ぐらい?だったと思います。ある日さびしくて、母に勇気を出して「だっこして」と言ったことがあります。でも、「何言ってるの?重いから無理」と返されました。
その日以降、母には甘えてはいけないんだ、迷惑はかけられないんだ、と心に誓いました。
今思えば、ただ単純に甘えたかった私と、重くなってきたから甘えられては困ると思った母の感情のすれ違いだったのかと思いますが。それでも幼い私は、母にはもう二度と甘えない、迷惑はかけない、と決めたのでした。
家事ができない理由
話は飛びますが。
去年の暮れのことです。私は、それまでずっと自分が家事が嫌いな原因がわかりませんでした。大学時代からずっと一人暮らしも自炊もしていたし、たくさんバイトもして、炊事も洗濯もそこそこできるはずなのに、です。できるのに、やりたくない。
根っからの面倒くさがり屋だからだ、と思っていました。それか、何か欠陥があるのか、とも。
「おまえが男だったら」という言葉は、本当にずっと聞いてきた言葉です。親からも、上司からも。
なので、私は女として生まれたことがまずかったのか?と本気で思ったこともありました。
でも、恋愛対象は男性だし、女として生きることも嫌なわけじゃない。
なので、なぜだろう?といつも不思議で。
心の闇に光が当たった日
それが、年末のある日、仕事も忙しくていろいろ重なって、
もう家事はやりたくない!
とイライラした日がありました。
それでも洗い物を片付けないと何も進まない。誰もやってくれない。
そこまでは今までもありましたが、洗い物をしながら涙が止まらないのです。
「わたしばっかり頑張って!でも、だれも感謝してくれない!誰にも必要とされてない!女だから?母だから?家事は私がやるのが当たり前なの?やりたいことも我慢して、休みもなくて、これじゃあ、まるで一生働き続ける奴隷じゃない!!」
嗚咽するほど、涙がこみあげてくる。
「なに?どうしちゃったんだろう、私?」
そう思っても止まらない。とうとう、一人部屋にこもり、声をあげて泣いてしまった。
そのうちに、ふいに幼いころに見た、母が台所で洗い物をしている姿が見えたのです。
今の自分に重なっている姿が。
母の哀しみがそのまま私に乗り移ったかのように感じました。
「あぁ、もしかして、母も同じ思いだったんだな。
そして幼いころから、無意識にその母の悔しさや悲しさも全部私の中に引き受けてきたんだ。
母を守るために、まるごと母を引き受けたんだ」
と。
母に心配をかけない、と決めたあの日から。
気が付けばいつも母の隣で台所に立ち、買い物に行き、
「あなたがいると、助かるわ」という言葉を糧に、生きてきた。
大好きな母を悲しませないように、私が保護者になろうと思った。
母の愚痴に耳を傾け、弟妹の面倒は私が見て、
子供のために自分の人生を捧げている母に感謝をし、
そんな母を虐げている父を憎んだ。
父に一言も文句が言えない母は、やさしいけど、可哀そうな人なんだ。
私が守ってあげなきゃ、とずっと思ってきた。
今思えば笑えるけれど、父は母に靴下まではかせてもらっていたんです!
なのに、おかしいとも思わなかった。
今思うと、母にもいろんな思いがあったのだろうなと想像できます。
「母としてこうあらねば」「家事をせねば良い妻でなくなる」
「家事が嫌だなんて思ったら女としてダメだ」「男は外で働き、女は家庭を守るもの」
「働かざる者食うべからず」「外で稼いでいる人が偉い」「子供を立派に育てなければ」
「子供のせいで自分の人生を犠牲にしている」「子供さえいなければもっと自由だったのに」。
そしてどうやら、母だけではなく、日本女性に脈々と受け継がれられてきたであろう、
女性蔑視な価値観。
最大の不幸は、これが普通、世間の常識だと、
多くの女性、本人たちが無意識に思い込んでいることだろうと思いました。
お母さんになったって、女だって、
そしてなにより、
その涙なんだと、気が付きました。
もう、私は私の価値観で生きて行けばいい。
急に変わることは無理でも、自分の気持ちに気づけただけで前進だ。
不愉快な時は、私自身の気持ちをよく観察し、
蓋をしたり、見て見ぬふりをするのをやめよう。
自分のご機嫌が取れるよう、自分に優しくあろう。
「心の闇に光が当たった。」
そう思えた日でした。