エンジニアを辞めて茨城移住
なぜ会社を辞めたのか
エンジニアだった私ですが、産休・育休を経て、あと1か月で会社復帰という状況で
都内の会社を辞めて、主人の実家がある茨城県に引っ越してきました。
そもそも会社に入った理由:
パソコンが使えるようになることと海外に行きたかったから
英文科卒のバリバリの文系(言い回しがへん?(笑))でしたが、これからはITが必要、となんとなく感じて
さらに、海外に仕事で行けるかも!という淡い期待を持ち。
システムエンジニアとして、通信ソフトウェア会社に就職。
途中で胆石の手術を受けたり、部署が変わったりしながらも何にでも挑戦して
少しでも海外に行ける方向にキャリアを積みました。
社会の中で振り落とされないように、
男性に負けないように、
16年間必死に努力しましたよー。
はじめは研究職だったこともあり、休みの日も、技術力アップのための勉強でした。
新しい技術の資料は、当然翻訳されていない原書なので、英語です。
サーバを管理するためのコマンドやプログラミングを覚えたり。
そのおかげで、たくさんのことを学び、なんでもやってみればできそうな気がする根拠のない自身もつき、
海外で仕事をする夢も叶えました。
夢は叶った。その先は?
一年の半分は海外出張で、夫ともなかなか会えない状態でしたが、
(なぜか私がいないと部屋は片付くー。泣)
仕事はとても充実していたし、楽しかった。アメリカのオフィスは、一人ずつ三面をパーティションで区切られていて、広くて、まるでテレビドラマそのものだし。
時々、小さな段ボール一つだけ抱えて出ていく、リストラ社員を見かけることもあり(^^;;
パリの事務所では、毎日出勤したら握手をしながらフロアを回る、とか
正規社員に採用された人がパンを買ってきてふるまう、というような謎の慣習があったりして。
毎日いろんな国のチームメンバーで一つのものを作り上げる喜びもあり、
現地の生活も楽しんでいたのですが。
結婚して一年たったころ、海外のプロジェクトが一時中断。
日本に戻りました。
出産後に自分より大切なものに気が付く
ちょうどそのタイミングで出産を経て、子供のいる暮らしが始まりました。
保育園も決まっていて、あと数か月で復帰、という時期に。
この子はずっと都会で育つの?
せっかくなので、と育休中に通っていた託児所完備の自動車学校の帰りに、ホームで電車を待っているときのことです。
ふっと、見ると、都内の有名私立の制服を着て、電車を待つ小学校1年生ぐらいの幼い男の子。
ぐったりと深くうなだれた首。つかれたねー。電車に乗って、これから家に帰るんだ。きっとここから一時間ぐらいだね。
そこでふと。気がついてしまった。
いま、私の胸で眠っている息子は、まだ一歳になったばかりのこの子は、このままこの都会で大きくなるの?
会社の先輩の子供たちは、公立に行かせずお受験をするのが普通。もしくは少しでもいい環境に越境入学。
それが普通でした。
「大事なわが子を守るために、いい環境を用意するのは当たり前でしょう?」
と先輩から聞いていました。
でも、でも。
さっきのあの子みたいに、まだ2,3歳からはじまる小学校受験。中学、高校、大学と。
当たり前のようにずっと続く受験戦争。
なんだか悲しくなってきて。
それって、なんのために?
自分のころとは違うって、うん、わかってる。でも、でも。
この子には、広い大地と、広い空を感じて育ってほしい。
だって、子供の時のそれは何よりの心の栄養だから。
心の原風景。知識ではなく、感覚として、四季の移り変わりや生き物に触れてほしい。
人として、命の尊さを知り、まずは触れてほしい風景や文化。残したいもの。
これからの私の暮らし方もこれでいいのか?
わたしには、ありがたいことに、会社に戻ったら管理職の道が用意されていました。
復帰はいつ?と言ってもらい、戻ればいいだけ。順風満帆。何の不自由もなく。
しかし、ふと、
このままでは、今までのような「がむしゃらな」働き方は厳しいことに気づきました。
ありがたいことに、働く場所も、役職も、時短勤務も、保育園の入園まで決まっていたのにね。
徐々に心に広がる違和感
残業と家賃の高さ
夫は、あいかわらず同じIT業界で夜中に帰宅。いつも日付をまたぎます。
新居を考えたときに、隣に建った小さな一戸建てのオープンハウスが6,500万円!!
(田舎では2,000万円あれば建つよ!)
このままでは、私たち家族は都会の真ん中で、
家賃や教育費のために働き、人として大事な何かを失ってしまう。
そして子供は、ここで土も知らずに育つの〜〜?
「 変えるなら、今しかない!」
信じがたい衝動に襲われ、
夫婦そろって潔く?会社を辞め、
人間らしい生活を求めて夫の実家がある
茨城県に移住。
移住してからの問題
そんな中、はじめは、「世界中どこにいても仕事ができたのだから大丈夫。」
と自信満々だったのに、専業主婦として過ごすうち、その後もう一人増えて、二人の男児を育てながら、感じた孤独感。
育児をしながら、残業のあるフルタイム勤務は、やはり難しく。
それでも、私の役割は母以外にもあるはず、いずれ社会の役に立つはずと、
ずっと悩みつつ、ビジネス書を読み漁っていました。
移住して良かったこと
しかし、ここでの生活は、
満員電車も、渋滞もなく。
お米も野菜もいただけたり、
水が美味しかったり、
駐車場が広いから車も駐めやすかったり。
ビルが低いから、
空の面積が広く感じる。
のんびりと公園で、子供と「雲が何に見えるか?」と
遊びながら感じたこの上ない幸福感。
海まで車で15分あれば行ける。
川崎に住んでいた時は、湘南や鎌倉へ行くのに何時間もかかったのが、うそみたい。
下の子が小学校に上がると同時に、コンサルティング会社でパート勤務をはじめ、
経営を学び少しずつ社会復帰。
そしてこれからが本番
そしてようやく、独立。
まだまだ試行錯誤しながらも、周囲に支えられ、
自分らしく社会へ貢献できる道が見え始めました。
好きな場所で、好きなように働く。
そんな理想を現実にする物語が
はじまりました。